The Big Bounce
〜ビッグバン説はもう古い〜
人類は古代から宇宙の起源について神話などの様々な説を残してきましたが,現在科学的にもっとも有名なのは「ビッグバン説」です。「宇宙は,密度が無限の状態からいきなり膨張し始めることで誕生した」とする説です。ビッグバン説は主にアインシュタインの一般相対性理論と熱力学の第二法則から導かれ,実際に宇宙の膨張(銀河が地球から離れて行っている)などが観測されたことにより実証されました。しかし,本当に「密度が無限大の状態」なんてありえるのでしょうか?
ループ量子重力理論を研究しているMartin Bojowaldらは,ある空間の持つエネルギーは有限だと考えることで,ビッグバンの「改訂版」“The Big Bounce”を主張します。
ビッグバン説(The Big Bang)によると,宇宙は「時空特異点」(singularity)[1]として億年前に現れ,膨張しながら冷却されて現在に至ると考えられています。重力はすべての物質がその物質が持っている質量とエネルギーに応じて受ける引力です。重力そのものは,自然に存在する四つの力のうち最も弱いですが,@長距離に作用できるマクロな力であり,A常に引力として働く,ためその大きさは莫大なものになりえます。一方でミクロなスケールでは,「パウリの排他律」[2]により,近距離にある粒子間には強い斥力が働き,この斥力によって物質は互いに反発しあいます。
しかし,アインシュタインの一般相対性理論によれば,粒子間の速度差は光速を超えることはできず,このこととパウリの排他律により,ミクロな斥力には限界が生じてしまいます。そのため,質量が大きい星などでは,重力による引力がミクロな斥力に打ち勝ち,星自身が自身の重力に耐え切れずに崩れてしまいます。こうしてできるのがブラックホールです。
しかし,一般相対性理論に加えて量子効果[3]を考慮すると,時空特異点に吸収された物質の質量と等価なエネルギーが放出されます。物質が時空特異点に吸収されたことによるエントロピーは減少を,エネルギーの散逸によるエントロピーの増加が上まるので全体として熱力学の第二法則は満たされます。そのため,ブラックホールのような高密度領域はエネルギーを放出するうちに質量が減少し,やがては消滅してしまいます。このように量子効果を考慮すると一般相対性理論は破綻してしまい,ビッグバン説の初期宇宙「時空特異点」そのものが存在し得ないのです!
ループ量子重力理論(Loop quantum gravity)は,重力の古典論である一般相対性理論を量子化した理論(量子重力理論)の候補であり,空間と時間(時空)にそれ以上の分割不可能な最小単位が存在すると記述する理論(Wikipedia, 2009年3月)です[4]。我々が住んでいる世界が「原子」で構成さている(「クォーク」と言っても同じこと)のと同様に,時空にもこのような直径がプランク長[5]程の最小単位が存在し,時空はこの最小単位が密に配置されたメッシュだということです。そのため,量子効果が無視できないくらいミクロな時空の状態を記述するには,時空を連続体と扱った従来の微分方程式ではなく,差分方程式を使わなくてはいけません。
差分方程式で計算しても,「どうせ微分方程式と同じ結果しか得られない」と考えられていた中,Bojowaldはこの計算をしました。すると,とても高密度状態では,重力は斥力に変わってしまうことが分かってのです!これはスポンジを水に浸した時に,スポンジははじめは水をよく吸収するけど,ある一定量の水を吸収するとそれ以上は吸収できず,水があふれ出す原理と同じです。量子化された空間もある一定量以上のエネルギー以上のエネルギーを持つことはできず,一定量以上のエネルギーは斥力に変わるのです。つまり,ビッグバン以前のような密度無限大の状態はループ量子重力理論的にもありえないのです!
Bojowaldのモデルによれば,初期宇宙は有限な高密度状態(1兆個の太陽を陽子に詰め込んだくらい)でした。この状態では,重力が斥力として働き,この斥力によって宇宙は加速しながら膨張し始めたのです。初期宇宙が膨張するうちに宇宙の密度が低くなり,やがて重力が引力として働くようになりました。こうして宇宙の膨張の加速が終わると,余ったエネルギーは宇宙を「再加熱」するために使われ,宇宙は慣性によって膨張し続けます。(現在)このモデルが「ビッグバウンス説(The Big Bounce)」です。
Bojowaldのモデルにはビッグバンのような「時間の起源」が存在しません。ループ重力理論を用いて時空の差分方程式を解くことで,初期宇宙および“The Big Bounce”以前の宇宙の状態を解明できるのではないでしょうか?
しかし計算すると,初期宇宙でも重力波などの波は伝播するし,量子効果は無視できないことがわかりました。つまり,ビッグバウンスは重力の斥力による瞬間的な反発ではなく,我々の想像を超えるようなゆらぎ(fluctuation)[6]だった可能性があるのです。たとえビッグバウンス以前の宇宙が我々が生きている宇宙と同じであったとしても,ビッグバウンスという強烈な揺動によって宇宙は一端「初期化」されてしまい,ビッグバウンス以前の宇宙を突き止めることはできないのです。
以上の結果は我々の知識の限界を示唆します。一般相対性理論に基づくビッグバン理論は,初期宇宙の状態で破綻してしまいますが,このループ量子重力理論に基づくビッグバウンス理論では,初期宇宙の状態までは予測できます。
[1]Bojowald, M. (2008) “Following the Bouncing Universe”. Scientific American, October: 28-33
[2]Hawking, S. (1988) A Brief History of Time
[1] 「時空特異点」(singularity):高重力により密度が無限大の状態になっている領域のこと。もっとも近い状態はブラックホールの核。
[2] パウリの排他律:二つ以上の電子はまったく同じ状態(波動関数)になることはない。そのため,粒子間距離を小さく保つには,各粒子間の速度差は大きくなくてはいけない。
[3] 量子効果:ミクロな物質の位置と変化の割合の両方を正確に知ることはできない,という不確定性原理による。ブラックホールの周りのempty spaceでは,正のエネルギーを持つ「粒子」と負のエネルギーを持つ「反粒子」が絶えず衝突→消滅(対消滅)している。ブラックホールのような莫大な質量を持つ物質に十分近い領域では,粒子の全エネルギーが負になることがある。(重力ポテンシャルは負の値を持つから)そのため,粒子も反粒子も負のエネルギーをもったままブラックホールに落ちることがある。ブラックホールから流出する正のエネルギーは,同時に流入する負のエネルギーの(E=mc²に相当する)質量減少を伴う。
[4] 量子化という操作について:量子電磁気学では,行使などの粒子が存在しない「真空(vacuum)」があり,真空にエネルギーが与えられると粒子が生成するとしている。同様に量子重力理論では,「真空」とは時空が存在しないことであり,真空にエネルギーを与えることで,時空の原子が生成される。
[5] プランク長=1.616252(18)×10⁻³⁵[m]
[6] ゆらぎ(fluctuation):熱平衡状態からズレ。熱力学の第二法則によれば,任意の孤立系(外部作用がマクロに見て無視できる系のこと)はエントロピーと呼ばれる物理量(系の「乱雑さ」を表す)が最大になる時,その系は熱平衡状態になる。しかし,ゆらぎではエントロピーが自発的に減少する系も存在する。非平衡状態を予測するのには,熱力学系の平衡におけるゆらぎと抵抗(抗力)の間にある関係を示す「揺動散逸定理(Fluctuation dissipation theorem)」を用いる。